今日のお話は、あくまで僕の主観です。
「そういう考え方もあるんだなあ」程度で聞いてください。
僕は楽譜を「作曲家の遺書」と捉えています。
フォルテという「強く演奏してね!」の記号を、一度書けばわかるのに、数小節にわたって何度も何度も書く作曲家がいると、かわいいなあと思うんですね。
「もっと!もっと!!」みたいな笑
詳しくは僕の著書「大人が習うピアノ」に掲載しているので、是非読んでみて↓
さて。
そんな楽譜を、僕の師匠は「マニュアルのようなもの」と呼びました。
これまた面白いですね。
以下、師匠「鈴木敬」のブログより
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マニュアルがないと、人によってバラバラの応対や仕事の仕方になってしまう。一方で、マニュアル通りしたからといって、それでよい、というわけではないことも確か。
たとえば、マニュアルには書いていない笑顔や心遣い。
お客様に対するきめの細かいおもてなし。
これはとてもマニュアルには書けません。
それをする人の自主性によるもの。
でも、マニュアルには載っていないこの「プラスα」が、感動を与えるのです。
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おっしゃる通りで、楽譜に書き表せないものをプラスαしている演奏が、聴き手に感動を与えます。
そしてそれはマニュアルの場合と同じく、先生の指示からは生まれません。
「演奏者の自主性」から生まれるものなのです。
そしてそのように「マニュアルにない自主的な対応」ができるスタッフがいる会社には、自主性を重んじ評価する企業文化があります。
また、今後の音楽教室、いや、全ての表現を要する教育施設には「そんな自主性をよいものとして尊重する教室文化」が必要です。
会社ともども、自分で考えて価値創造に向かって走って行きましょう。
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