能登半島の今と募金について

講師のナカです。今回は「まじめな話担当」としまして能登半島地震への募金についてのお知らせと、「能登半島は今どうなっているのか?」をお伝えいたします。

Yahoo! 基金へ寄付しました

かねてからスタジオにも張り紙しておりましたが、この度の能登半島地震緊急支援募金(Yahoo! 基金)に、サウンドフリージョイの売上の一部を寄付いたしました。
また、私たちからの張り紙やブログなどの呼びかけに共感してくださり寄付金をくださった方々からお預かりした分も、あわせて寄付をいたしました。ご協力くださり誠にありがとうございました。

被災した石川県はモロ先生の地元でもありまして、当日はご心配・お見舞いのお言葉をくださり大変感謝しております。


せっかくだから読んで欲しい話

さて、ここからは「能登半島で起きたこと」と「能登半島の今」について少しお話しさせてください。

能登半島で起きたこと

まずはあらためて能登半島地震が起きた日についてまとめてみます。

最初に大きな揺れが起きたのは、今年2024年1月1日夕方16時6分のことでした。地震が発生した場所は石川県の能登半島の一番先にある珠洲(すず)市のあたりで、最大の震度は5強でした。

さらにその4分後、また珠洲市の真下で地震が起き、能登半島では最大震度7が観測されました。
これが一連の地震の中でもっとも大きな揺れでしたがその後も強い揺れが何度も起き、気象庁によれば、震度5強を超える地震は1月1日から6日までで11回も記録されたとのことです。

地震によって強い揺れに繰り返しさらされた家やビルなどの倒壊のほか、電気・水道が通じなくなったり、道路はがれきとひび割れで通れなくなったりする被害が起きました。

地図出典:国土地理院
出典:「令和6年能登半島地震における被害と対応」(国土交通省) (https://www.mlit.go.jp/common/001751574.pdf)スライドより引用

また、二次災害(地震のせいで起きた他の災害)もとても深刻でした。
各地で火災も起きてしまい、珠洲市の隣の輪島市では観光地として有名な「朝市通り」をむ地域で200棟を超える住宅・店舗が焼ける大きな被害が出ました。
また、海からは津波の被害もあり、震源があった珠洲市では半島を回り込んで3メートル近い津波が沿岸の建物を浸水させました。

このように今回の地震は、東日本大震災(2011年)・熊本地震(2016年)と並ぶ非常に大きな地震災害です。

今どうなっているのか?

2024年1月からみると半年経ちましたが、今もなお多くの方が避難生活を送っています。
公民館・学校に開設されている「一次避難所」のほか、金沢や県外などのホテル・旅館を利用した「二次避難」が行われておりますが、完成した仮設住宅の数は申し込みに対してまだまだ足りないようです。
くわしく:「【令和6年能登半島地震】から半年。現在の被災地の様子と活動レポート」(広報:空飛ぶ捜索医療団”ARROWS” 編集部)

地震火災により大きな被害を受けた石川県輪島市の朝市通り周辺では、6月5日から焼け残った建物の公費解体が本格的に行われています。3月から店主有志の企画により「出張朝市」が全国で開催されてきましたが、輪島に戻った組合員の方々によって7月10日に地元での「輪島朝市」が開催されました。
くわしく:「輪島朝市、大規模火災後初めての地元開催…避難の店主ら戻り「やっぱり朝市は輪島でやらんと」(読売新聞オンライン)

一口に「被災地」と言っても、その被害の大きさや復興の状況は様々です。
地域によっては観光客の受け入れを初めている施設や、期間限定でのイベントを開催してる場所もあります。復興支援というと、まず浮かぶのは寄付やボランティアのような活動がありますが、観光というかたちで現地の経済を動かすことでも復興を後押しすることができます。
くわしく:「【能登半島の今③】能登の現状と今行ける能登を紹介します」(ほっと石川 旅ネット)

私たちに今できること

最後に、今回の募金で呼びかけた「私たちに今できること」について思うことをお話しして、このとっても長い記事を締めくくります。

2011年に起きた東日本大震災の被災地を訪問した際、現地の方とお話ししていて印象に残った言葉が「忘れられる、関心を持たれなくなることが怖い」です。これは復興についてだけではなく、多くの犠牲を払って得られた防災への教訓を忘れてほしくない、ということでもあるそうです。
「自分にできることはなにか」を考え、「自分や家族を守る備えはできているか」を顧みることもまた大切なことなのです。

私たち一人ひとりの力は決して大きくないですが、まずは関心を向けることでそれぞれの「今できること」が見えてくるのだと思います。

コメント