【諸江史耶】僕が「場づくり」に成功した理由

僕は「モロオフ会」という、僕の生徒さんとジョイの関係者の方だけが入れるコミュニティを運営しているんですけども、現在このグループに所属している方が80名ほどいらっしゃるんですね。

このコミュニティを作ったきっかけは確か、ある生徒さんから「生徒さん同士で集まって食事したい」と言われて、集まったのが始まりだったかと思います。

作ったタイミングがちょうどコロナ禍で、みんなが在宅を余儀なくされて行き場がなくなったもんですから、コロナの波がだいぶ小さくなったタイミングで「集まりに参加したい!」という方が急増したんですね。

そんなラッキーもあって、現在80名の方をお招きできているわけですが、こういった「コミュニティづくり」において、それよりももっと重要なことがあります。

それは「みんなが集まる場を作りたい!」という意気込みだけでは、誰も集まらないということ。

僕のコミュニティは「みんなが諸江にピアノを習っている」という共通点が大きく、社会人が趣味で音楽をやるという「共感のしやすさ」が大きなコンテンツになってる。

こうした「やりがいや悩みを話し合える関係性」を築けないと、コミュニティづくりは簡単ではないと思います。

僕は「モロオフ会」という、僕の生徒さんとジョイの関係者の方だけが入れるコミュニティを運営しているんですけども、現在このグループに所属している方が80名ほどいらっしゃるんですね。

このコミュニティを作ったきっかけは確か、ある生徒さんから「生徒さん同士で集まって食事したい」と言われて、集まったのが始まりだったかと思います。

作ったタイミングがちょうどコロナ禍で、みんなが在宅を余儀なくされて行き場がなくなったもんですから、コロナの波がだいぶ小さくなったタイミングで「集まりに参加したい!」という方が急増したんですね。

そんなラッキーもあって、現在80名の方をお招きできているわけですが、こういった「コミュニティづくり」において、それよりももっと重要なことがあります。

それは「みんなが集まる場を作りたい!」という意気込みだけでは、誰も集まらないということ。

僕のコミュニティは「みんなが諸江にピアノを習っている」という共通点が大きく、社会人が趣味で音楽をやるという「共感のしやすさ」が大きなコンテンツになってる。

こうした「やりがいや悩みを話し合える関係性」を築けないと、コミュニティづくりは簡単ではないと思います。

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