「アウトプットが決まっていない人生」を想像すると、今の自分の生活とは全く違うと感じます。
現在、毎日2時間以上のウォーキングに加え、出張ピアノレッスンやラジオで10分喋る、ブログを3種類書くといった日課があり、毎日5000〜6000文字分の情報を発信しています。
そのために、現場での実験や読書、専門家との対話などで大量のインプットが必要ですが、もしアウトプットが不要な環境になったら、今ほどのインプットはしないでしょう。
アウトプットがあるからこそインプットが深まり、吸収率も高まる。
僕にとって、アウトプット量がインプット量を決定しているのです。
本当はストイックにインプットだけを続ける理想的な自分でありたかったですが、実際の僕はアウトプットの必要性があって初めて動ける人間。
それでも、この環境に救われていると感じています。
インフルエンサーや知識人と呼ばれる人たちは、発信を続けるために日々大量のインプットをしており、その知識量は圧倒的です。
最初は純粋な探究心から始まったとしても、やがて「仕入れ続けなければならない生活」に変わり、そのサイクルから抜け出せなくなっているのかもしれません。
僕が好きな「ファーストペンギン」の話もそうで、勇敢に飛び込んだわけではなく、たまたま環境に押されて行動していることが多いそうです。
実際、自分も特別な意思で動いているのではなく、インプットせざるを得ない環境に置かれているから動いているだけだと感じます。
重要なのは、自分が環境に走らされていると自覚している一方で、他人からは「意思で動いている」と見える点です。
多くの場合、「違う」のは人ではなく、その人が置かれた環境なのではないでしょうか。
もともと持ち合わせている個人の能力差なんて、本当に僅かなものなんだろうなぁと最近は思います。
▼諸江史耶のラジオはこちら ↓↓
【モロオフ会コミュニティ】
▼音楽教室やレンタルスタジオなど、フリージョイのサービスに関する問い合わせはこちらから↓↓
▼諸江史耶 インスタグラム
〈YouTube〉
▼サウンドフリージョイのブログはこちらから↓↓
▼諸江史耶のエンタメ事業•教育に関する記事が毎朝読めたり、メンバーさん同士交流できたりするコミュニティはこちら ↓↓↓
コメント